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鉄道で働いて20年になります。もちろん入った頃にはSLも通票も過去の物、でも当時の私に運転士の仕事を教えてくれた大先輩には、長万部や稚内からいらした機関士あがりの方々がいました。とても恐くてとても強くて、でもとても頼りになりました。今その先輩方もリタイアされ、鉄道の仕事の「勘」や「経験」を教えるのが私たちになっています。私たちの世代は蹴られて怒鳴られて教えられるのが当たり前、でも今ではそれはハラスメント。こういう記録映像がある意味、鉄道の安全や鉄道を支える一員であるという姿勢、精神の教育なのでしょうか、マニュアルにはないことを教える一助となっております。勾配の引き出しは電機でも大変なんです。それにしても、稚内機関区で天北線も運転していた先輩、「イクラは食べられないんだー」って仰っていたのを思い出しました(笑)名産なのにー、えーっ!?って笑っていた若い頃の自分を思い出します。
稚内で生まれ育ち今は東京暮らしです。天北線を知る世代です。親の転勤事情で勇知駅そばに数年住み。猛吹雪のある夜、南稚内から勇知へ父と帰る2両編成ディーゼル車。もう進めなく、車掌さんが「いつ動けるか分からない」、と。数時間後に救援車が。運転席真後ろの場所に走って見たのは、1灯ライトと吹き上がる煙。利尻山がきれいに見える場所での思い出です。名寄から来てくれたんでしょうか。
圧縮引き出しも手加減一つだ!そのあと耳を澄まして連結部の音を聞いてタイミングを計ってるのには鳥肌物のシーンです。
音を聞いてるんじゃなくて、ふくらはぎで感じてるのをああいう形で表現してる。
最初の運転手の人も熟練なんだろうけど、更にベテランが出てくるところがいい
この有名な映画は、蒸気機関車映画のなかの最高傑作だと思います。自分は、天北線の曲渕小石間の峠は距離長く、撮影をあきらめた記憶があり、音威子府で96を見ながら駅そばを食べた想い出は、C55やD51と共に今でも昨日のような想い出になりました。名寄発の早朝の上りD51貨物列車も良かったです。宗谷本線、天北線は夢で会う世界にねりました。
名機キューロクと、それを知り尽くした機関士の職人技は、本当に素晴らしいです。ただただ感謝。
連結器同士の接触音をカウントしてタイミングを料ってからいざ加速という職人技がカッコいい! 警戒の汽笛を聴いて何処からともなく現れ、そして危機を救って後姿で去っていく、金ボタン外套の戦前国鉄マン、まるでヒーローそのものだな。釜で焼いた餅を受け取る演出も粋だなあ。
電車はもとい列車や機関車のことは詳しくないが、なんと言うかその…かっこいい、の一言に尽きる。近年の日本人には持ち合わせていない、真の日本人らしさと男らしさがある。
「こんくらいなら登れるべぇ やってみようや」かっこいい!
各テレビ局とかもくだらねぇバラエティに注力するんじゃ無くてこういう文化的価値がある資料を資料室から引っ張り出して公開するような努力をしてくれよ!頼むよ!たくさん持ってるだろ!?
バラエティに注力したのは日本人の政治への関心を無効化するため。国民をバカ化させるため。それは戦後、読売新聞社の正力がやり始めた作戦。プロ野球番組などはその代表例。この作戦は功を奏した。ジャニーズもその作戦の一つ。正力、ジャニーはCIAのエージェントだよ。テレビは支配者層が大衆をアンダーコントロールする武器として使われた。だから国民の知性を底上げするようなテレビ番組は絶対に作らせない。とにかくバカ化させること。それがテレビの役目。
この間、NHKが撮りためた昔の廃止路線の映像を資料室から引っ張り出して放送してくれて大変うれしかった。
恐らく民放は下らない番組しか残っていないだろう。NHK位じゃないかな?
@@abcdefghijklmn112233 そう。それがアメリカの戦略。日本が二度と白人様に歯向かわないようにするには、いつまでもイエローモンキーでいてもらわないとダメだからね。そしてプロ野球を流行らせたのも、アメリカの策略。そもそも野球なんてアメリカや日本など一部の国でしか流行っていない。世界中で行われているスポーツと言えば、サッカーなのはあまりに有名!
バラエティ好きな人全員策略にハマったバカみたいな言い方すんなよな人間性が垣間見える
梶田さんカッコ良すぎるし、最後に温めてた餅?を渡す伏線が粋だね。
言葉台詞がなくとも、リアルさが伝わる映像って、今の時代には無いよね。
50年前(当時高校生)の話だが、中学生の弟と2人で北海道へ蒸気機関車の写真を撮りに行った。名寄本線は一の橋~上興部間11kmの丁度中間点が天北峠の頂上で、どちらからくる列車も25‰という上り急勾配のため煙を吐いてくれる絶好のポイントだったが、車のない者にとっては5.5kmを歩かなければならなかった。一度のみならず撮影行を快諾してくれて資金(予算1人2万円)を出してくれた両親には感謝してもしきれない。
子供達の願いを理解し4万円も出したご両親はすごいな。緻密な行動計画書を作成してご両親へ説明したのでしょうね。かけそば120~130円(2024年では400円前後)、国立大学の授業料年額36,000円(2024年では535,800円)の時代。
そして歩いて帰る梶田さん
せめて次の駅で降りればいいのにね。
@@HEATEP789 北海道だから次の駅まで行ったら帰れなくなんじゃね?
そだねー
最後尾の車掌車に車掌として乗っていた説
機関車の事は分からないが、私は北海道11年生まれ今は京都在住子供の頃名寄本線にも乗りました。峠は歩くが如しでした。叔父さんが鉄道員でした。作品を観賞していて目頭が熱くなりました。
私も昔梅小路機関区で機関士をしておりましたが、こういう昔の映像を見ると自分の若かりし頃を思い出しますね。
いつ拝見させてもらっても感動する映像です。いったんバックして連結機を緩め、数センチの遊びを利用して1台づつ引き出す、圧縮引き出し法。連結器と機関士らの顔が映される場面はいいですね。職人技を垣間見ることが出来る貴重な映像。古き良き時代を思い出すために、いつまでも観ていたいです。ありがとうございます。
1975年まで名寄に在住していました。当時名寄駅は、宗谷本線・名寄本線・深名線が交差する鉄道の要衝で、同じ上川管内の音威子府からは東廻りの天北線も存在し、名寄は「鉄道城下町」の体を成す賑やかな街でした。小学校時代、機関区で写生会の作品を描いた記憶もあり、くろがねの蒸気機関車が車庫に並ぶ姿は圧巻でした。とても懐かしい映像に感激しました。有難うございます。因みに天北峠は、天北線に位置したのではなく名寄本線に存在した難所ですね。冬はヒグマも冬眠するので、立ち往生でも少しだけ安心だったかもしれませんね。
今はもうアラサーだけど子供の頃祖父の家で繰り返し見てた大好きな映画。今も祖父の家にある。RUclipsにあって感動した。今更だけどインターネットはすごいな、いつでもどこでも見られる
当時、道内の主要国道は改良が進んでおらず、道幅も狭く勾配やカーブも険しく、舗装も100%とは行かず、トラック輸送は冬は豪雪や吹雪に寒さと難問だらけで定時運行処では無かった。あてになる交通手段は鉄道で生活物資輸送から旅客輸送まで鉄道だよりだった。それが、昭和50年代に国民生活を人質にと、先鋭化した国労のストライキ闘争で国民の国鉄離れが進み、国道の整備や飛行機の大衆化が進み、鉄道への依存が急速に廃れた。この頃はまだいい時代だった。幌内線や夕張線でD51では登れなかった坂も9600が登れたなど、9600が名機だとのエピソードは多い。おやじさんがベテランの技で難所を突破して線路を歩いて帰るのがいぶし銀だった。
昭和10年当時の生活を知る、貴重な経験談素晴らしいです。それと、かなりのご高齢だと思いますが、こうやってRUclipsを観て当時を思い出しながらコメントされるとは感慨深いです。
元々日本は、馬車時代を経験しないまま、鉄道が入ってきたために、鉄道が交通の主役に据えられ道路整備は戦後になるまで成されて来なかった経緯があります。ましてや北海道のような自然の厳しい地域なら尚更の事。だから、道路が整備されるに従って廃線が増えるのは当然の事でしょう。夕張線……。そうですね。あの夕張鉄道が石炭列車を牽く機関車は最後まで96を使ってたそうですからね。さすが名技術者、島安次郎が設計した名機関車ですね。
@@user-bq1wv3kd9s さん子供の頃、旧産炭地の親戚宅の近所に国鉄の某駅が有り、良く9600が走行したり停車していましたが、Ⅾ51に比べると腰高なスタイルであまりカッコイイ印象が無かったのですが、性能は良かったのですね。
@@tomo.j キューロクは元々、標準軌に対応する機関車として設計されました。この機関車は大正時代に開発されましたが、当時の日本は改軌論争の真っ只中であり、結局今の狭軌になった為、標準軌を見越した設計が仇になりました。火力を増すため火室部分を幅広に設計した為、動輪を小さくせざる得ず不恰好な姿なりました。しかし火力が上がり易い広火室で、動輪が小さい事で空転を起こし難い事はよく知られています。それは一番最後まで使われた機関車がキューロクである事がそれを証明しています。
@keikyuspirits of simens kyoichi そのDD51も、今や定期運用が無くなり風前の灯火に・・・
どんな組織にも困った時に頼りになるベテランおっさんが居るものだ。普段はとっつきにくいジジイだったりするけど。
最後まで見入ってしまった。なんでだろう、蒸気機関車が峠を越えるだけの話なのに。当時の機材では越えるのが困難な雪の峠を越えるだけの短編なのに
近隣に49671が保存されております。圧縮空気で動くようになっておりますが、煙を上げて力強く走る9600を見られて感動しました。
9:22 煙の色を見ると、完全燃焼しているようです。峠に差し掛かる前に釜をベストの状態に持っていった機関助士さんはすごいですね
よく見る黒い煙をもくもく吐き出してるのは不完全燃焼だったのか
@@user-sx7mf3xz2v そうですよ……。かつては黒煙モクモク出すような人は、機関助士失格だったそうですからね。釜炊きが下手という意味で。よく見る黒煙モクモクは、単なるファンサービス。
あたしも北海道勤務で、元機関士さん(私の叔父もそうでした)の思い出話を聞きますけど、「優秀な機関士は黒煙なんか絶対出さなかった!」とおっしゃってました。SLの廃止が決まり、SLブームが起こると、写真目当ての観光客のためにわざと不完全燃焼させて黒煙上げるように指示されたんだと苦笑してましたね。ちなみにその機関士さんは現在苗穂工場で展示されているC62-3号車が廃車になったとき、いつでも動けるようにボイラー内部をグリース塗って防錆した。だからバブル時代にすぐ再生できたんだと自慢されていました。
@@user-bq1wv3kd9sさん 蒸気牽引時代のお召列車の写真を見ると、どれも黒煙なんて出していないのが理解できました。
但し、末期は重油併燃付の釜が増加したので、流石に黒煙無しというのは困難だったようです。(A重油ならまだしも、大抵B重油、C重油も珍しくなかったとか)
汽車の姿もさることながら一瞬写った雪掻きに従事する人々、北の鉄路の維持にどれだけの労を要するかってことも考えてしまう
凄くいい映像ですね。親分のそのまた上の親分がきて、なんとかしてくれるってのが。なかなか今の時代には無い感じですねー。
電子制御がもてはやされる昨今、熟練者の技術はそれを遥かに上回っています。より確実で信頼性の高いタブレットもいいローテクシステムですねー。
昔、気動車で乗務員室の後ろの客用ドアに保護棒が付いていたのが理解出来ました。21世紀の現在では別の意味でのタブレットを乗務員に支給していますね。
梶田さん何者だ!このくらいなら昇べ!経験を積んだ男はかっこいいっす!
誇りが持てる仕事って感じがする、今は中々ないな
よく「蒸気機関車は生き物」と言われることがありますが、それを感じることができました。雪に阻まれた9600、なんだかばつが悪そうで「ごめんねえ力不足で…」と申し訳なさそうにしてるように見えて愛おしくなりました。
96は平地の普通機関車なんですよ。C62が東海道線の急行機関車のようにね。日立製作所がC62造ってたって知ってました?
@@hk3336だから正直パワーないしただ汎用性だけにしか特化されないゴミ機関車と。D52とかD51の方が上なんだよなぁ。もっと言えば、DD51が出たから蒸気機関車自体が時代遅れの産物なんだけども。
4:55 ……注意するように」 9600「ポッ(はい)」
可愛いW
いつからTV業界はこういう番組に背を向けるようになったんだろう。
ドキュメンタリー番組制作の関係者です。いまのテレビ業界は、骨太のドキュメンタリーなど望むべくもありません。そういう企画は、すべてプロデューサーの時点でハネられてしまいます。いわく視聴率がとれない、いわくスポンサーがのらない・・・民放各社が視聴率を気にするのはメディアの宿命ですが、あまりにも商業ベースに堕落しすぎている。私は局の自主制作というのがあってもいいと思っています。つまりスポンサーのいない番組で、局のメディアとしての矜持を世間に示すための社会性のあるドキュメンタリーあるいはドラマです。全番組の利益の中から、その制作費が捻出できないというのは・・・そんなはずはない。浮ついたお笑いと、バラエティと、嘘くさい報道番組に品のないコマーシャルがまぶしこまれている・・・それが現代のテレビです。心ある人ならずとも、これじゃテレビ離れが進むに決まってます。真面目なドキュメンタリーの企画を局に持ち込んでも・・・誰が出るの?コア視聴率はとれそう?スポンサーは探せる?そんなバカバカしいやりとりに疲れます。はっきりいって、いまの放送局のプロデューサーは8割がた能無しです。
@@sketchofjapan2286 さんご丁寧な返信ありがとうございます。今テレビは映画とスポーツしか見ません。すっかり見るものが無くなったと思っていたらそういう事だったんですね。
地元住民が使わなくなった鉄道が廃線になるように、人々が見ないからドキュメンタリーが作られなくなる物好きが残してほしいという構図まで廃線そっくりでは?
@@user-yc2xv2rv9l 良質ドキュメンタリーが作られなくなったから人の興味が失せ、ヤラセと芸人が「笑われる」だけの低俗な番組が増えたのでは?
@@sketchofjapan2286 同感です❗️
かっこいいとはこういう事だよなぁ...。
天北峠、子供の頃にSL乗ったよ懐かしいね。50年も経った…
ここまで音と風景と鉄にこだわる作品ってそうそうないよね
余計なセリフが一切無く走行中は操作音、蒸気の音、走行音がよく聞こえる…良いなぁ…今やったら右上のワイプから凄ーい!とか言ってるんだろうな
これが俺が知っている昭和の男だ。戦争を知ってる世代は違うよ。本当に尊敬する。
観光、復活運転じゃない、ホントの生活路線として、営業路線としての蒸気機関車のリアルな躍動が伝わってくる。観光、復活運転を否定するわけじゃないし、その列車でしかSLを体感してない世代だけど、この躍動感はやはり別格。そして車掌車付きの貨物の長大編成。私が見たのは電気機関車だったけど、貨物車輛のいろんな種類が見られると、ワクワクした幼少期を思い出しますね。私の親世代は蒸気が当たり前だった世代。昔の旅行の話を聞くと羨ましく思えてしまう。素晴らしい映像は後世に伝えて欲しいって、本気で思いますね。
鉄道映画のまさに傑作!迫真の演技に涙天北線も名寄本線も今はもう無い……男達が命を張って築いてきたものが…モーターリゼーションで無くなるときは実にアッサリと。先人達の苦労に感謝しかない。
若い人間ですけど、今の人たちが大挙して求める古い車両による国鉄の残照より、自分はこうしてフィルムや映像にしか残らない国鉄の姿が大好きです。もう、過去にしかない姿。勇ましく、力一杯に人と暮らした鉄道を見ていると何か熱い気持ちになりますね。
何だろ?ただ走らせているだけなのに、この迫力は!息を呑んで見入ってしまいました。
たまたま観てしまい、引き込まれてしまいました。。当時の人の佇まい、交番表などの風景、働く人の息づかいや姿を観ることができました。昨今の映像作品では感じることのできないものでした。
セリフは少ないが機関車とその搭乗員の圧倒的な存在感、陳腐なセリフは全く必要ない。動画と映画の違いを教えてくれた気がします。
助平動画
これを見ていて思い出したのは数年前に100歳近くで亡くなった祖母の手記。祖母は昭和16年の冬に現在の幌加内町から隣町の和寒町に嫁に行ったが冬だとショートカットになる幌加内峠は閉鎖され代わりに深名線で深川まで行きそこから旭川経由で和寒まで行った様だ、時期的に雪でストップとかしたのではないかなあ。なんて思いながら観てました。
This is incredible. As a lifelong American railfan of 25 years of age, I really love cinematic portrayals of operations like this. Makes you wonder how Japan’s railways operates during the Second World War.
鉄道はあまり興味がなかったけど、このおやっさんの職人技には感動しました。格好いいな
なんだよ、最高な映画じゃねーか!これが日本の粋ってもんだろ!
こういうもんのなかにこそ俺たちが忘れちまった何かがあるんでねえかな。
デフ無しスノープロウの釜も機関士も助士も車掌もお助けマンもみんなカッコイイ!
鉄道詳しくないけど,蒸気機関車の魅力だけは解る木と鉄だけで構成された古い銃を愛するガンオタだけど,合理性を追求し尽くした現代にはもう蘇らないであろう鋼鉄と煙のロマンを求める心理は同じなのかなぁって
伝説の重量物の発車!本当のベテランさんは出来たそうです。それをわかっている編集も凄いな!
実際、石炭列車の全盛期ては二千トンの貨車を牽くなんて当たり前だったそうです。それでも空転させずちゃんと引き出していた訳ですから。そこが機関士と運転士の違いですね。
NHKの昭和のSL記念館の映像を見て、相当長い編成の石炭列車がよく出て来て、びっくりしたのを覚えています。そういえば、子供の頃、貨物列車が来るとなかなか踏み切りが上がらなかったのを、思い出しました。
汽笛が交換される前の北海道の9600形も貴重です。晩年は、指向性を高めるために道内の9600形は全車ともに、D51型と同じ「ボォー」と言う勇ましい5室汽笛に交換されたそうです。
このキューロクの前ナンバーの49671が近所のSLキューロク館で頑張ってます!圧縮空気での駆動に改造されてますが、ある意味では現役で子供達を楽しませています。近所のあのキューロクの本当の意味での現役時代の仕事ぶりを見た気がして、非常に感慨深い映像でした!今では数十メートルしか自走できませんが、こんな感じで働いていたと思うと妙に愛おしく感じます。
かっこええ…。男の仕事や。国鉄すごい。
梶田さん。助役以上の幹部職員に許された赤帯付き制帽では無い一般職員用の制帽なので、国鉄独特の幹部職員に準じた給料が貰える、信号場主任さん辺りでしょうか?元は機関区ナンバーワンの腕利き機関士とお見受けします。それにしても本務機関士さん機関助士さん含めて、みんな格好良いです。
4:26辺りのシーンで給炭場に停車した96から降りて来た人が梶田さんじゃないかと。勤務明けの帰宅中だったんじゃないですかね?
祖父が名寄本線で除雪車の運転手をしていた(と聞いている) 現役時代の祖父の姿は窺い知れないが、感慨深いものがある
なんか毎日見ちゃう梶田さん今生きてたら130歳くらいかな
当時は55歳定年だから、ベテランでも60歳定年で65歳まで雇用延長の今から見たら、梶田さん白髪も少なく若いですね。
4:55 偉い人「吹き溜まりなどに十分注意する様に」機関車「ポッ!!(ハイ!)」いいお返事。
蒸気機関車の重厚感や躍動感、ノスタルジックなんだけど凄くカッコ良くて好き
白い煙は窯焚きが上手い証
幼い頃、父と一緒に視た憶えがあります。18:40からのシーン、そしてドラフト音には震えるような誇りを感じます。アップしてくださりありがとうございます。
ボイラーの余熱で、餅を焼くことができる。「機関車乗りには娘はやれぬ」機関士、機関助士が、如何に過酷なことか。
なんか載せてると思ったけど、アレ餅なんか。
え…ただただカッコイイって思ってるだけで終わっちゃったもっと見たいなぁこうゆうの。
これなんだよな。これが本当の日本の男なんだよな。
そういえば、もう名寄本線も廃線になったんですよね……。確かこの動画が入ったDVD、持ってたと思う。本にDVDが付属してたやつ。いやしかし、機関士の経験と力量でこんなに差が付くんですね……。見てて感じたのは、引き出し方の上手さですね。本当に蒸気機関車は生き物だというのがよくわかりますね。
この 96 こそ 機械とは思えない 人間の息吹を感じる 名機と感じます!私が高1でアルバイトをして 最初に買った 天賞堂の ho ゲージの96が正に この型でした。 定年した 今、 この動画の シーンを再現して ジオラマで 走らせてみます! 私のコレクションで一番気に入っている名機です。
小さい頃に何度か乗っただけなのに、蒸気機関車の音を聞くと鳥肌が立ちます。山間に響き渡る汽笛を聞くと涙が出そうになる。
スゲ~❗️蒸気機関車って全身使って運転するんだな。正に熟練の職人技。
おもわずがんばれーそこで止まっては駄目だとか叫びながら涙ながしてた俺。機械と対話して仕事こなしてる姿に心打たれました。
17:01親父さんは歩いて帰宅してたんだろうけど丁度いいとこで止まって本当に良かった機関車運転の達人は雪道を歩くのも得意だってわかった
1:53 鉄道無知ワイ初めてここの部分が開くことを知る
粋だねぇ
Wonderful films, hope you are in good health after bad weather, from Melbourne
圧縮引き出しに燃えます。連結器の縮む音、いい感じですねー
梶田さん格好いい。
懐かしき記憶がよみがえる!
日本社会が軽視しだしているもの「熟練の技」、失くした技術を取り戻すのは容易ならざる事を知って欲しい。
もう手遅れかもしれない。アメリカが仕組んだのは、日本人を無能化させる事。だから、技術の継承なんてさせなかった。むしろ日本古来の匠の技を消し去って、日本人の記憶から消す事が優先された。今頃アメリカは高笑いしてるだろうよ。
かの有名な東海道新幹線の0系車両、あれも駆動方式だけで言えばアメリカのWN駆動を参考に新しく作られたカルダン駆動という方式、日本が開発に成功したのは1951年だったかな?それから約70年経っても未だに電車の駆動方式はカルダン駆動なのを見ると、カルダン駆動っていう駆動方式はおそらく今後も発展をつづけた形で製造されるのでしょうね。
国鉄の151系特急電車だって元を言えばアメリカの長距離カルダン駆動車.......。アメリカは自国の技術を日本に持ち込んで、電車や気動車にコイツをぶち込んでこれが新時代の鉄道車両だと言わんばかりに日本中に配置させ、旧世代の電車や蒸気機関車の乱獲狩りを始めさせる。地元中央快速線も茶色い電車が走っていたが昭和35年までにオレンジの新型通勤電車に全て置き換えられた.......。
この動画は素晴らしいです、素人の私でも解ります。:これを見ると今の撮り鉄の動画は幼稚園並みに見えます。
厳しい雪の峠越えに挑む9600と機関士達の挑戦の姿が感動的です。雪の中、身を乗り出し前方一点を見つめる機関士の姿。空転を避け1mでも前に進めるべくレバー操作をする練達の手先。それを受けて必死にもがく9600のシリンダーと動輪。その前に立ちはだかる積雪と25/1000勾配。その全てがごく自然で誇張がない。それはまさに人機一体の挑戦の姿。すべてが安易になり本質の見えにくい現代にあって、峠を越えることの困難さに気を留める人もいないでしょう。この十年の間、万能と信じていたことがもろくも崩れる場面を目撃してきた私たちとって、困難やその克服とはどういう事かを戒めように教えてくれている気もします。ただ実直に、身を挺して雪の峠超えという困難を乗り越え一人当たり前の様に立ち去る老練機関士の後ろ姿に感動です。
蒸気機関車(釜)は生き物。それを操るには、経験則と繊細な勘が必要。また、運転士と釜焚きチームワークも。現代にはない、大変きつい仕事だったと思うが、機関車乗りは、きっと誇りだったに違いない。先人には頭が上がらない。
男の世界だ!あこがれる
かっこいいなぁ。まさにロックだ。
映像が本当に綺麗です。
歌いながらの運転や、ボイラーでの餅焼き... 当時は何でもありだったのでしょう... あと、デフ無し9600とスム1形貨車、ワフの逆付け等渋い要素満載ですねぇ...
木造ワムもいましたね!
9600のデフが無いことに気付いてた方がいらしてたんですね。九州のキューロクではほとんどこれでしたが、北海道のカマでノンデフは珍しかったと思います。
@@GLM17 さん、てゆうか9600や8620、C10、C12、C50はもともとデフなしの設計で、デフはオプションというか後付けの感覚でいましたが...
@@GLM17 幼少時に室蘭に住んでいて、しょっちゅう友人と近所の鷲別機関区に見学に行っていました(当時は機関区内の事務所で届けを出せば割と自由に見学させてくれました)。沢山いた9600はデフあり、デフなしが混在していましたね。顔を警戒色(黒と黄色の縞模様)に塗られたのもいました。北海道のSLの歴史のトリ(C62の復活運転やイベント列車を除く)を取ったのはD51でもC57でもなく、追分機関区にいた9600でした。
49672はこれの撮影のために切り詰めデフを外したらしい...
本当のカッコいいを見させていただきました。ありがとうございました。
フィルムの画質ってすごいなあ
窯の状態 圧力 砂 勾配 車両の重さ気温 長年の勘 五感をすべて駆使しないと できなかった仕事です❗頭が下がります。
汽車のことなんて何一つ知らないのに魅入った。この映像が如何に優れているかがよく分かる…。鉄の塊が動き出す重み、音、俳優の自然な演技、渋くて格好が良くて…動画をありがとう、本当にかっこいいしか言葉が出ない。
スゲー、心がザワザワする。こんな映画あったん?
こんな鮮明な96を初めて見たので感動です!ひたすら仕事している姿がかっこいい
梶田さんめっちゃイケメン
ドラマとして完成度が高い!
健太さんのコメントに、同様です。全く各局、同じようなバラエティ、やっている奴らの気晴らし楽しむ番組で、無くこうした、人を、感動させる放送してこそTVですよ。SLいつか、乗ってみたいです。これこそ生きてる、動力ですね。😅スピードだけの時代では無いですよこうした大勢の人の手を合わせ動いてこその価値ですよ。国宝遺産として何時迄も残して欲しいです
18:36ブレーキ緩めて遊間つくってから加減弁引くのカッコいい。機関車と一心同体になる瞬間よね。
梶田さん突然現れ仕事をこなして歩いて帰っていくw
NHKでは昔新日本紀行で蒸気機関車の特集を沢山放映していましたね。
蒸気機関車が牽引する貨物列車が峠を越えるシーンで、牽引定数一杯の貨車を牽引する9600は見ものです~途中で空転して、バックして峠に挑み圧縮引き出しをして峠を乗り越えるは職人技ですね~晩年なら重連で乗り切れるんでしょうけど。古い映像ですが鮮明に撮影されていますね。
職人だよな~。職人はカッコいいですね。
梶田さんが渋すぎる😏
感動しました👼子供の頃、母に連れられて礼文島利尻島、行く時に急行天北に乗りましたね札幌からの長旅でしたから母は、自分に気を使いグリーン車🍀奮発してくれましたね😃真っ赤なシートでリクライニングシート後で大正生まれの祖母に大名旅行と嫌味言われました。昔の人の嫌味はキツかったでしたね。小学生の自分にもその意味が分かり子供ながらムカつきましたね😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃
鉄道で働いて20年になります。もちろん入った頃にはSLも通票も過去の物、でも当時の私に運転士の仕事を教えてくれた大先輩には、長万部や稚内からいらした機関士あがりの方々がいました。とても恐くてとても強くて、でもとても頼りになりました。今その先輩方もリタイアされ、鉄道の仕事の「勘」や「経験」を教えるのが私たちになっています。私たちの世代は蹴られて怒鳴られて教えられるのが当たり前、でも今ではそれはハラスメント。こういう記録映像がある意味、鉄道の安全や鉄道を支える一員であるという姿勢、精神の教育なのでしょうか、マニュアルにはないことを教える一助となっております。勾配の引き出しは電機でも大変なんです。
それにしても、稚内機関区で天北線も運転していた先輩、「イクラは食べられないんだー」って仰っていたのを思い出しました(笑)名産なのにー、えーっ!?って笑っていた若い頃の自分を思い出します。
稚内で生まれ育ち今は東京暮らしです。天北線を知る世代です。
親の転勤事情で勇知駅そばに数年住み。猛吹雪のある夜、南稚内から勇知へ父と帰る2両編成ディーゼル車。もう進めなく、車掌さんが「いつ動けるか分からない」、と。
数時間後に救援車が。運転席真後ろの場所に走って見たのは、1灯ライトと吹き上がる煙。
利尻山がきれいに見える場所での思い出です。名寄から来てくれたんでしょうか。
圧縮引き出しも手加減一つだ!
そのあと耳を澄まして連結部の音を聞いてタイミングを計ってるのには鳥肌物のシーンです。
音を聞いてるんじゃなくて、ふくらはぎで感じてるのをああいう形で表現してる。
最初の運転手の人も熟練なんだろうけど、更にベテランが出てくるところがいい
この有名な映画は、蒸気機関車映画のなかの最高傑作だと思います。
自分は、天北線の曲渕小石間の峠は距離長く、撮影をあきらめた記憶があり、音威子府で96を見ながら駅そばを食べた想い出は、C55やD51と共に今でも昨日のような想い出になりました。
名寄発の早朝の上りD51貨物列車も良かったです。宗谷本線、天北線は夢で会う世界にねりました。
名機キューロクと、それを知り尽くした機関士の職人技は、本当に素晴らしいです。ただただ感謝。
連結器同士の接触音をカウントしてタイミングを料ってからいざ加速という職人技がカッコいい! 警戒の汽笛を聴いて何処からともなく現れ、そして危機を救って後姿で去っていく、金ボタン外套の戦前国鉄マン、まるでヒーローそのものだな。釜で焼いた餅を受け取る演出も粋だなあ。
電車はもとい列車や機関車のことは詳しくないが、なんと言うかその…かっこいい、の一言に尽きる。
近年の日本人には持ち合わせていない、真の日本人らしさと男らしさがある。
「こんくらいなら登れるべぇ やってみようや」
かっこいい!
各テレビ局とかもくだらねぇバラエティに注力するんじゃ無くてこういう文化的価値がある資料を資料室から引っ張り出して公開するような努力をしてくれよ!頼むよ!たくさん持ってるだろ!?
バラエティに注力したのは日本人の政治への関心を無効化するため。国民をバカ化させるため。それは戦後、読売新聞社の正力がやり始めた作戦。プロ野球番組などはその代表例。この作戦は功を奏した。ジャニーズもその作戦の一つ。正力、ジャニーはCIAのエージェントだよ。テレビは支配者層が大衆をアンダーコントロールする武器として使われた。だから国民の知性を底上げするようなテレビ番組は絶対に作らせない。とにかくバカ化させること。それがテレビの役目。
この間、NHKが撮りためた昔の廃止路線の映像を資料室から引っ張り出して放送してくれて大変うれしかった。
恐らく民放は下らない番組しか残っていないだろう。NHK位じゃないかな?
@@abcdefghijklmn112233 そう。それがアメリカの戦略。日本が二度と白人様に歯向かわないようにするには、いつまでもイエローモンキーでいてもらわないとダメだからね。そしてプロ野球を流行らせたのも、アメリカの策略。そもそも野球なんてアメリカや日本など一部の国でしか流行っていない。世界中で行われているスポーツと言えば、サッカーなのはあまりに有名!
バラエティ好きな人全員策略にハマったバカみたいな言い方すんなよな
人間性が垣間見える
梶田さんカッコ良すぎるし、最後に温めてた餅?を渡す伏線が粋だね。
言葉台詞がなくとも、リアルさが伝わる映像って、今の時代には無いよね。
50年前(当時高校生)の話だが、中学生の弟と2人で北海道へ蒸気機関車の写真を撮りに行った。名寄本線は一の橋~上興部間11kmの丁度中間点が天北峠の頂上で、どちらからくる列車も25‰という上り急勾配のため煙を吐いてくれる絶好のポイントだったが、車のない者にとっては5.5kmを歩かなければならなかった。一度のみならず撮影行を快諾してくれて資金(予算1人2万円)を出してくれた両親には感謝してもしきれない。
子供達の願いを理解し4万円も出したご両親はすごいな。緻密な行動計画書を作成してご両親へ説明したのでしょうね。
かけそば120~130円(2024年では400円前後)、国立大学の授業料年額36,000円(2024年では535,800円)の時代。
そして歩いて帰る梶田さん
せめて次の駅で降りればいいのにね。
@@HEATEP789
北海道だから次の駅まで行ったら帰れなくなんじゃね?
そだねー
最後尾の車掌車に車掌として乗っていた説
機関車の事は分からないが、私は北海道11年生まれ今は京都在住子供の頃名寄本線にも乗りました。峠は歩くが如しでした。叔父さんが鉄道員でした。作品を観賞していて目頭が熱くなりました。
私も昔梅小路機関区で機関士をしておりましたが、こういう昔の映像を見ると自分の若かりし頃を思い出しますね。
いつ拝見させてもらっても感動する映像です。いったんバックして連結機を緩め、数センチの
遊びを利用して1台づつ引き出す、圧縮引き出し法。連結器と機関士らの顔が映される場面はいいですね。職人技を垣間見ることが出来る貴重な映像。古き良き時代を思い出すために、いつまでも観ていたいです。ありがとうございます。
1975年まで名寄に在住していました。
当時名寄駅は、宗谷本線・名寄本線・深名線が交差する鉄道の要衝で、同じ上川管内の音威子府からは東廻りの天北線も存在し、名寄は「鉄道城下町」の体を成す賑やかな街でした。小学校時代、機関区で写生会の作品を描いた記憶もあり、くろがねの蒸気機関車が車庫に並ぶ姿は圧巻でした。とても懐かしい映像に感激しました。有難うございます。
因みに天北峠は、天北線に位置したのではなく名寄本線に存在した難所ですね。
冬はヒグマも冬眠するので、立ち往生でも少しだけ安心だったかもしれませんね。
今はもうアラサーだけど子供の頃祖父の家で繰り返し見てた大好きな映画。今も祖父の家にある。RUclipsにあって感動した。今更だけどインターネットはすごいな、いつでもどこでも見られる
当時、道内の主要国道は改良が進んでおらず、道幅も狭く勾配やカーブも険しく、舗装も100%とは行かず、トラック輸送は冬は豪雪や吹雪に寒さと難問だらけで定時運行処では無かった。あてになる交通手段は鉄道で生活物資輸送から旅客輸送まで鉄道だよりだった。それが、昭和50年代に国民生活を人質にと、先鋭化した国労のストライキ闘争で国民の国鉄離れが進み、国道の整備や飛行機の大衆化が進み、鉄道への依存が急速に廃れた。この頃はまだいい時代だった。幌内線や夕張線でD51では登れなかった坂も9600が登れたなど、9600が名機だとのエピソードは多い。おやじさんがベテランの技で難所を突破して線路を歩いて帰るのがいぶし銀だった。
昭和10年当時の生活を知る、貴重な経験談素晴らしいです。
それと、かなりのご高齢だと思いますが、こうやってRUclipsを観て当時を思い出しながらコメントされるとは感慨深いです。
元々日本は、馬車時代を経験しないまま、鉄道が入ってきたために、鉄道が交通の主役に据えられ道路整備は戦後になるまで成されて来なかった経緯があります。ましてや北海道のような自然の厳しい地域なら尚更の事。だから、道路が整備されるに従って廃線が増えるのは当然の事でしょう。夕張線……。そうですね。あの夕張鉄道が石炭列車を牽く機関車は最後まで96を使ってたそうですからね。さすが名技術者、島安次郎が設計した名機関車ですね。
@@user-bq1wv3kd9s さん
子供の頃、旧産炭地の親戚宅の近所に国鉄の某駅が有り、良く9600が走行したり停車していましたが、Ⅾ51に比べると腰高なスタイルであまりカッコイイ印象が無かったのですが、性能は良かったのですね。
@@tomo.j キューロクは元々、標準軌に対応する機関車として設計されました。この機関車は大正時代に開発されましたが、当時の日本は改軌論争の真っ只中であり、結局今の狭軌になった為、標準軌を見越した設計が仇になりました。火力を増すため火室部分を幅広に設計した為、動輪を小さくせざる得ず不恰好な姿なりました。しかし火力が上がり易い広火室で、動輪が小さい事で空転を起こし難い事はよく知られています。それは一番最後まで使われた機関車がキューロクである事がそれを証明しています。
@keikyuspirits of simens kyoichi そのDD51も、今や定期運用が無くなり風前の灯火に・・・
どんな組織にも困った時に頼りになるベテランおっさんが居るものだ。
普段はとっつきにくいジジイだったりするけど。
最後まで見入ってしまった。
なんでだろう、蒸気機関車が峠を越えるだけの話なのに。
当時の機材では越えるのが困難な雪の峠を越えるだけの短編なのに
近隣に49671が保存されております。圧縮空気で動くようになっておりますが、煙を上げて力強く走る9600を見られて感動しました。
9:22 煙の色を見ると、完全燃焼しているようです。峠に差し掛かる前に釜をベストの状態に持っていった機関助士さんはすごいですね
よく見る黒い煙をもくもく吐き出してるのは不完全燃焼だったのか
@@user-sx7mf3xz2v そうですよ……。かつては黒煙モクモク出すような人は、機関助士失格だったそうですからね。釜炊きが下手という意味で。よく見る黒煙モクモクは、単なるファンサービス。
あたしも北海道勤務で、元機関士さん(私の叔父もそうでした)の思い出話を聞きますけど、「優秀な機関士は黒煙なんか絶対出さなかった!」とおっしゃってました。SLの廃止が決まり、SLブームが起こると、写真目当ての観光客のためにわざと不完全燃焼させて黒煙上げるように指示されたんだと苦笑してましたね。ちなみにその機関士さんは現在苗穂工場で展示されているC62-3号車が廃車になったとき、いつでも動けるようにボイラー内部をグリース塗って防錆した。だからバブル時代にすぐ再生できたんだと自慢されていました。
@@user-bq1wv3kd9sさん 蒸気牽引時代のお召列車の写真を見ると、どれも黒煙なんて出していないのが理解できました。
但し、末期は重油併燃付の釜が増加したので、流石に黒煙無しというのは困難だったようです。
(A重油ならまだしも、大抵B重油、C重油も珍しくなかったとか)
汽車の姿もさることながら一瞬写った雪掻きに従事する人々、北の鉄路の維持にどれだけの労を要するかってことも考えてしまう
凄くいい映像ですね。親分のそのまた上の親分がきて、なんとかしてくれるってのが。なかなか今の時代には無い感じですねー。
電子制御がもてはやされる昨今、熟練者の技術はそれを遥かに上回っています。
より確実で信頼性の高いタブレットもいいローテクシステムですねー。
昔、気動車で乗務員室の後ろの客用ドアに保護棒が付いていたのが理解出来ました。21世紀の現在では別の意味でのタブレットを乗務員に支給していますね。
梶田さん何者だ!このくらいなら昇べ!経験を積んだ男はかっこいいっす!
誇りが持てる仕事って感じがする、今は中々ないな
よく「蒸気機関車は生き物」と言われることがありますが、それを感じることができました。
雪に阻まれた9600、なんだかばつが悪そうで「ごめんねえ力不足で…」と申し訳なさそうにしてるように見えて愛おしくなりました。
96は平地の普通機関車なんですよ。C62が東海道線の急行機関車のようにね。
日立製作所がC62造ってたって知ってました?
@@hk3336だから正直パワーないしただ汎用性だけにしか特化されないゴミ機関車と。D52とかD51の方が上なんだよなぁ。もっと言えば、DD51が出たから蒸気機関車自体が時代遅れの産物なんだけども。
4:55
……注意するように」 9600「ポッ(はい)」
可愛いW
いつからTV業界はこういう番組に背を向けるようになったんだろう。
ドキュメンタリー番組制作の関係者です。いまのテレビ業界は、骨太のドキュメンタリーなど望むべくもありません。そういう企画は、すべてプロデューサーの時点でハネられてしまいます。いわく視聴率がとれない、いわくスポンサーがのらない・・・民放各社が視聴率を気にするのはメディアの宿命ですが、あまりにも商業ベースに堕落しすぎている。
私は局の自主制作というのがあってもいいと思っています。
つまりスポンサーのいない番組で、局のメディアとしての矜持を世間に示すための社会性のあるドキュメンタリーあるいはドラマです。全番組の利益の中から、その制作費が捻出できないというのは・・・そんなはずはない。
浮ついたお笑いと、バラエティと、嘘くさい報道番組に品のないコマーシャルがまぶしこまれている・・・それが現代のテレビです。心ある人ならずとも、これじゃテレビ離れが進むに決まってます。
真面目なドキュメンタリーの企画を局に持ち込んでも・・・誰が出るの?コア視聴率はとれそう?スポンサーは探せる?
そんなバカバカしいやりとりに疲れます。はっきりいって、いまの放送局のプロデューサーは8割がた能無しです。
@@sketchofjapan2286 さん
ご丁寧な返信ありがとうございます。
今テレビは映画とスポーツしか見ません。
すっかり見るものが無くなったと思っていたらそういう事だったんですね。
地元住民が使わなくなった鉄道が廃線になるように、人々が見ないからドキュメンタリーが作られなくなる
物好きが残してほしいという構図まで廃線そっくりでは?
@@user-yc2xv2rv9l
良質ドキュメンタリーが作られなくなったから人の興味が失せ、ヤラセと芸人が「笑われる」だけの低俗な番組が増えたのでは?
@@sketchofjapan2286 同感です❗️
かっこいいとはこういう事だよなぁ...。
天北峠、子供の頃にSL乗ったよ懐かしいね。50年も経った…
ここまで音と風景と鉄にこだわる作品ってそうそうないよね
余計なセリフが一切無く走行中は操作音、蒸気の音、走行音がよく聞こえる…良いなぁ…今やったら右上のワイプから凄ーい!とか言ってるんだろうな
これが俺が知っている昭和の男だ。
戦争を知ってる世代は違うよ。本当に尊敬する。
観光、復活運転じゃない、ホントの生活路線として、営業路線としての蒸気機関車のリアルな躍動が伝わってくる。
観光、復活運転を否定するわけじゃないし、その列車でしかSLを体感してない世代だけど、
この躍動感はやはり別格。
そして車掌車付きの貨物の長大編成。私が見たのは電気機関車だったけど、貨物車輛のいろんな種類が見られると、ワクワクした幼少期を思い出しますね。
私の親世代は蒸気が当たり前だった世代。昔の旅行の話を聞くと羨ましく思えてしまう。
素晴らしい映像は後世に伝えて欲しいって、本気で思いますね。
鉄道映画のまさに傑作!迫真の演技に涙
天北線も名寄本線も今はもう無い……男達が命を張って築いてきたものが…モーターリゼーションで無くなるときは実にアッサリと。先人達の苦労に感謝しかない。
若い人間ですけど、今の人たちが大挙して求める古い車両による
国鉄の残照
より、自分はこうして
フィルムや映像にしか残らない国鉄の姿が大好きです。もう、過去にしかない姿。勇ましく、力一杯に人と暮らした鉄道を見ていると何か熱い気持ちになりますね。
何だろ?ただ走らせているだけなのに、この迫力は!息を呑んで見入ってしまいました。
たまたま観てしまい、引き込まれてしまいました。。当時の人の佇まい、交番表などの風景、働く人の息づかいや姿を観ることができました。昨今の映像作品では感じることのできないものでした。
セリフは少ないが機関車とその搭乗員の圧倒的な存在感、陳腐なセリフは全く必要ない。動画と映画の違いを教えてくれた気がします。
助平動画
これを見ていて思い出したのは数年前に100歳近くで亡くなった祖母の手記。
祖母は昭和16年の冬に現在の幌加内町から隣町の和寒町に嫁に行ったが冬だとショートカットになる幌加内峠は閉鎖され代わりに深名線で深川まで行きそこから旭川経由で和寒まで行った様だ、時期的に雪でストップとかしたのではないかなあ。なんて思いながら観てました。
This is incredible. As a lifelong American railfan of 25 years of age, I really love cinematic portrayals of operations like this. Makes you wonder how Japan’s railways operates during the Second World War.
鉄道はあまり興味がなかったけど、このおやっさんの職人技には感動しました。
格好いいな
なんだよ、最高な映画じゃねーか!これが日本の粋ってもんだろ!
こういうもんのなかにこそ俺たちが忘れちまった何かがあるんでねえかな。
デフ無しスノープロウの釜も機関士も助士も車掌もお助けマンもみんなカッコイイ!
鉄道詳しくないけど,蒸気機関車の魅力だけは解る
木と鉄だけで構成された古い銃を愛するガンオタだけど,
合理性を追求し尽くした現代にはもう蘇らないであろう
鋼鉄と煙のロマンを求める心理は同じなのかなぁって
伝説の重量物の発車!本当のベテランさんは出来たそうです。それをわかっている編集も凄いな!
実際、石炭列車の全盛期ては二千トンの貨車を牽くなんて当たり前だったそうです。それでも空転させずちゃんと引き出していた訳ですから。そこが機関士と運転士の違いですね。
NHKの昭和のSL記念館の映像を見て、相当長い編成の石炭列車がよく出て来て、びっくりしたのを覚えています。そういえば、子供の頃、貨物列車が来るとなかなか踏み切りが上がらなかったのを、思い出しました。
汽笛が交換される前の北海道の9600形も貴重です。
晩年は、指向性を高めるために道内の9600形は全車ともに、D51型と同じ「ボォー」と言う勇ましい5室汽笛に交換されたそうです。
このキューロクの前ナンバーの49671が近所のSLキューロク館で頑張ってます!
圧縮空気での駆動に改造されてますが、ある意味では現役で子供達を楽しませています。
近所のあのキューロクの本当の意味での現役時代の仕事ぶりを見た気がして、非常に感慨深い映像でした!
今では数十メートルしか自走できませんが、こんな感じで働いていたと思うと妙に愛おしく感じます。
かっこええ…。
男の仕事や。
国鉄すごい。
梶田さん。助役以上の幹部職員に許された赤帯付き制帽では無い一般職員用の制帽なので、国鉄独特の幹部職員に準じた給料が貰える、信号場主任さん辺りでしょうか?元は機関区ナンバーワンの腕利き機関士とお見受けします。
それにしても本務機関士さん機関助士さん含めて、みんな格好良いです。
4:26辺りのシーンで給炭場に停車した96から降りて来た人が梶田さんじゃないかと。
勤務明けの帰宅中だったんじゃないですかね?
祖父が名寄本線で除雪車の運転手をしていた(と聞いている) 現役時代の祖父の姿は窺い知れないが、感慨深いものがある
なんか毎日見ちゃう
梶田さん今生きてたら130歳くらいかな
当時は55歳定年だから、ベテランでも60歳定年で65歳まで雇用延長の今から見たら、梶田さん白髪も少なく若いですね。
4:55
偉い人「吹き溜まりなどに十分注意する様に」
機関車「ポッ!!(ハイ!)」
いいお返事。
蒸気機関車の重厚感や躍動感、ノスタルジックなんだけど凄くカッコ良くて好き
白い煙は窯焚きが上手い証
幼い頃、父と一緒に視た憶えがあります。18:40からのシーン、そしてドラフト音には震えるような誇りを感じます。アップしてくださりありがとうございます。
ボイラーの余熱で、餅を焼くことができる。
「機関車乗りには娘はやれぬ」機関士、機関助士が、如何に過酷なことか。
なんか載せてると思ったけど、アレ餅なんか。
え…ただただカッコイイって思ってるだけで終わっちゃったもっと見たいなぁこうゆうの。
これなんだよな。
これが本当の日本の男なんだよな。
そういえば、もう名寄本線も廃線になったんですよね……。確かこの動画が入ったDVD、持ってたと思う。本にDVDが付属してたやつ。いやしかし、機関士の経験と力量でこんなに差が付くんですね……。見てて感じたのは、引き出し方の上手さですね。本当に蒸気機関車は生き物だというのがよくわかりますね。
この 96 こそ 機械とは思えない 人間の息吹を感じる 名機と感じます!
私が高1でアルバイトをして 最初に買った 天賞堂の ho ゲージの96が正に この型でした。 定年した 今、 この動画の シーンを再現して ジオラマで 走らせてみます! 私のコレクションで一番気に入っている名機です。
小さい頃に何度か乗っただけなのに、蒸気機関車の音を聞くと鳥肌が立ちます。
山間に響き渡る汽笛を聞くと涙が出そうになる。
スゲ~❗️蒸気機関車って全身使って運転するんだな。正に熟練の職人技。
おもわずがんばれー
そこで止まっては駄目だ
とか叫びながら涙ながしてた俺。
機械と対話して仕事こなしてる姿に心打たれました。
17:01
親父さんは歩いて帰宅してたんだろうけど
丁度いいとこで止まって本当に良かった
機関車運転の達人は雪道を歩くのも得意だってわかった
1:53 鉄道無知ワイ初めてここの部分が開くことを知る
粋だねぇ
Wonderful films, hope you are in good health after bad weather, from Melbourne
圧縮引き出しに燃えます。連結器の縮む音、いい感じですねー
梶田さん格好いい。
懐かしき記憶がよみがえる!
日本社会が軽視しだしているもの「熟練の技」、失くした技術を取り戻すのは容易ならざる事を知って欲しい。
もう手遅れかもしれない。アメリカが仕組んだのは、日本人を無能化させる事。だから、技術の継承なんてさせなかった。むしろ日本古来の匠の技を消し去って、日本人の記憶から消す事が優先された。今頃アメリカは高笑いしてるだろうよ。
かの有名な東海道新幹線の0系車両、あれも駆動方式だけで言えばアメリカのWN駆動を参考に新しく作られたカルダン駆動という方式、日本が開発に成功したのは1951年だったかな?それから約70年経っても未だに電車の駆動方式はカルダン駆動なのを見ると、カルダン駆動っていう駆動方式はおそらく今後も発展をつづけた形で製造されるのでしょうね。
国鉄の151系特急電車だって元を言えばアメリカの長距離カルダン駆動車.......。アメリカは自国の技術を日本に持ち込んで、電車や気動車にコイツをぶち込んでこれが新時代の鉄道車両だと言わんばかりに日本中に配置させ、旧世代の電車や蒸気機関車の乱獲狩りを始めさせる。地元中央快速線も茶色い電車が走っていたが昭和35年までにオレンジの新型通勤電車に全て置き換えられた.......。
この動画は素晴らしいです、素人の私でも解ります。:これを見ると今の撮り鉄の動画は幼稚園並みに見えます。
厳しい雪の峠越えに挑む9600と機関士達の挑戦の姿が感動的です。
雪の中、身を乗り出し前方一点を見つめる機関士の姿。
空転を避け1mでも前に進めるべくレバー操作をする練達の手先。
それを受けて必死にもがく9600のシリンダーと動輪。
その前に立ちはだかる積雪と25/1000勾配。
その全てがごく自然で誇張がない。
それはまさに人機一体の挑戦の姿。
すべてが安易になり本質の見えにくい現代にあって、
峠を越えることの困難さに気を留める人もいないでしょう。
この十年の間、万能と信じていたことがもろくも崩れる場面を
目撃してきた私たちとって、困難やその克服とはどういう事かを
戒めように教えてくれている気もします。
ただ実直に、身を挺して雪の峠超えという困難を乗り越え
一人当たり前の様に立ち去る老練機関士の後ろ姿に感動です。
蒸気機関車(釜)は生き物。それを操るには、経験則と繊細な勘が必要。また、運転士と釜焚きチームワークも。現代にはない、大変きつい仕事だったと思うが、機関車乗りは、きっと誇りだったに違いない。先人には頭が上がらない。
男の世界だ!あこがれる
かっこいいなぁ。まさにロックだ。
映像が本当に綺麗です。
歌いながらの運転や、ボイラーでの餅焼き... 当時は何でもありだったのでしょう... あと、デフ無し9600とスム1形貨車、ワフの逆付け等渋い要素満載ですねぇ...
木造ワムもいましたね!
9600のデフが無いことに
気付いてた方がいらしてたんですね。
九州のキューロクではほとんどこれでしたが、
北海道のカマでノンデフは珍しかったと思います。
@@GLM17 さん、てゆうか9600や8620、C10、C12、C50はもともとデフなしの設計で、デフはオプションというか後付けの感覚でいましたが...
@@GLM17 幼少時に室蘭に住んでいて、しょっちゅう友人と近所の鷲別機関区に見学に行っていました(当時は機関区内の事務所で届けを出せば割と自由に見学させてくれました)。沢山いた9600はデフあり、デフなしが混在していましたね。顔を警戒色(黒と黄色の縞模様)に塗られたのもいました。北海道のSLの歴史のトリ(C62の復活運転やイベント列車を除く)を取ったのはD51でもC57でもなく、追分機関区にいた9600でした。
49672はこれの撮影のために切り詰めデフを外したらしい...
本当のカッコいいを見させていただきました。
ありがとうございました。
フィルムの画質ってすごいなあ
窯の状態 圧力 砂 勾配 車両の重さ
気温 長年の勘 五感をすべて駆使しないと できなかった仕事です❗頭が下がります。
汽車のことなんて何一つ知らないのに魅入った。この映像が如何に優れているかがよく分かる…。
鉄の塊が動き出す重み、音、俳優の自然な演技、渋くて格好が良くて…動画をありがとう、本当にかっこいいしか言葉が出ない。
スゲー、心がザワザワする。こんな映画あったん?
こんな鮮明な96を初めて見たので感動です!ひたすら仕事している姿がかっこいい
梶田さんめっちゃイケメン
ドラマとして完成度が高い!
健太さんのコメントに、同様です。全く各局、同じようなバラエティ、やっている奴らの気晴らし楽しむ番組で、無くこうした、人を、感動させる放送してこそTVですよ。SLいつか、乗ってみたいです。これこそ生きてる、動力ですね。😅スピードだけの時代では無いですよこうした大勢の人の手を合わせ動いてこその価値ですよ。国宝遺産として何時迄も残して欲しいです
18:36
ブレーキ緩めて遊間つくってから加減弁引くのカッコいい。機関車と一心同体になる瞬間よね。
梶田さん突然現れ仕事をこなして歩いて帰っていくw
NHKでは昔新日本紀行で蒸気機関車の特集を沢山放映していましたね。
蒸気機関車が牽引する貨物列車が峠を越えるシーンで、牽引定数一杯の貨車を牽引する9600は見ものです~途中で空転して、バックして峠に挑み圧縮引き出しをして峠を乗り越えるは職人技ですね~晩年なら重連で乗り切れるんでしょうけど。古い映像ですが鮮明に撮影されていますね。
職人だよな~。職人はカッコいいですね。
梶田さんが渋すぎる😏
感動しました👼
子供の頃、母に連れられて
礼文島利尻島、行く時に
急行天北に乗りましたね
札幌からの長旅でしたから
母は、自分に気を使い
グリーン車🍀
奮発してくれましたね😃
真っ赤なシートで
リクライニングシート
後で大正生まれの祖母に
大名旅行と嫌味
言われました。
昔の人の嫌味は
キツかったでしたね。
小学生の自分にも
その意味が分かり
子供ながらムカつきましたね
😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃